[対談] 矢萩邦彦ダイアログス

楠本涼×矢萩邦彦「取材者としてのあるべき姿」

LIVEonWIRE_JOURNAL編集長、矢萩邦彦による参加ジャーナリストとの対談第二弾は楠本涼さんです。対談は2011年10月に行われました。楠本さんは東日本大震災の震災直後から陸前高田に入り現地取材を慣行、現在も継続して取材されています。

ジャーナリストへの転身

矢萩:こんにちは、今日はよろしくお願いします。お話しするのは、4月6日以来でしょうか?

楠本:宜しくお願い致します。そうですね、その節は大変お世話になりました。

矢萩:以前お会いしたのは僕がみんつな(注:矢萩邦彦が東日本大震災の直後に設立したNPO法人)の支援物資を届けに陸前高田に行った際に、たまたま立ち寄った保育士さんたちによる、合同保育の場でしたね。あそこへは、取材で来られていたのですか?

楠本:はい。丁度私が陸前高田市に伺って間もない頃で、実際に現地の状況をいろいろと拝見していたところでした。

矢萩:僕が陸前高田に行ったのは、仲間のジャーナリスト佐藤慧君のご実家があったからですが、楠本さんはなぜ陸前高田に?

楠本:佐藤さんには以前お会いしたことがあり、今回の東日本大震災の取材をさせていただくにあたって実際に現地に入られている佐藤さんとジャーナリスト安田さん(注:安田菜津紀さん、studioAFTERMODE所属のジャーナリスト)から情報を共有してもらい、陸前高田に伺うことに決めました。

矢萩:なるほど、そうでしたか。ご縁に感謝します。楠本さんは、震災前はどういった分野の取材をされていたのですか?

楠本:実は、3月末までは東京の写真スタジオで勤務しておりました。それまでに取材写真を撮影することはありましたが、あくまで個人レベルのことでした。

矢萩:では、この震災を切っ掛けにジャーナリストの道へ?

楠本:そうですね。

矢萩:どういった思いから、ジャーナリストへの転身を決められたのですか?

楠本:もともと写真を学ぶにあたってMAGNUM Photosのフォトジャーナリストの方々の写真に触れることが多かったのですが、自分に出来るのか半信半疑な、弱さみたいなものがありました。震災を機に、そのような自分と真剣に向き合い、写真で伝えるという生き方そのものに非常に惹かれ、転身を決意しました。

矢萩:ということは、いずれフォトジャーナリズムへ、というのはもともと意識されていたわけですね。

楠本:私の周りには報道写真やドキュメンタリー写真の分野で活躍されている方々が多く、惹かれていたのは事実だと思います。

矢萩:なるほど。今回実際、現地に入られて記事も書かれているわけですが、最初の所感というか、東京で報道されている311と現地のギャップなどは感じられましたか?

楠本:東京に限った訳ではありませんが、少し復興キャンペーンのような意識がTVなどを見ていて感じることが多かったと思います。適切な表現か分かりませんが。あとは、必要なことだったとは思いますが、被災地に対して「○○をしてはいけない」というような過剰さはあったように感じています。

矢萩:それはありますね。僕らの支援団体でも、まず最初に「報道は暴力だからカメラは禁止にするべきだ」という意見が内部から出てましたので、かなり話し合いました。もともと団体の目的の一つが大手報道機関が報道をやめたあとに、継続的に伝えていくというものでした。阪神淡路大震災の時にかなりそういう話が合ったんですよね。で、阪神淡路を経験しているスタッフからも、そういう話が出たので、まずは地元の人間である佐藤以外はカメラを持たないことにしました。

楠本:そうだったんですね。私自身も取材撮影に関して多くの方から事前にご意見を頂戴することがありました。ただ、いずれ大手メディアはニュース枠で取り扱う機会が減ることが予想されたので、現地に入ることを決めた時点で、「継続して伝える」ことを意識して、その一環として可能な限りご迷惑や精神的な負担をかけないように注意しながら活動することに決めました。

矢萩:はい、ですから、取材が偏ってしまうことや、佐藤一人に負荷がかかりすぎることを懸念していました。彼はご実家が流されていて、お母さんの安否が分からない状態での取材活動でしたので。しかし、佐藤が現地入りしてすぐ、彼からジャーナリストをもっと派遣してくれ、という連絡があったんですね。現地の人が、それを求めていると。僕らが現地入りして、最初に回った社協など自治体の建物に、カメラマン募集の張り紙がありました。しかし、同時期に、仙台入りしていた別の知り合いは、とてもカメラを出せる雰囲気ではではない、と言っていましたので、随分と温度差があることを実感しました。一律に「被災地」や「東北」として報道する危険を感じました。

楠本:なるほど。実際に東北に住まれていた方でなければ、被災地としてまとめることに疑問は持たなかったかもしれません。私自身、恥ずかしながら陸前高田に伺う前に持っていた印象と、仙台や気仙沼を見てから陸前高田に伺ったときで大きくギャップを感じました。余談かもしれませんが、当時東京では水の買い占めやストック出来る食料が不足してコンビニも大変な状況でしたが、仙台のあるコンビニではお弁当が並び、一部の食堂等はすでに営業して、車は普通に走っていたことは衝撃的でした。

矢萩:やはりそうですか。水などは、需要のある場所と無い場所のギャップがすごかったみたいですね。マスクも飛ぶように売れていましたね。防塵マスクを装備して歩いている人もいました。今回、陸前高田の方々の生活や、産業について記事にして頂いたのですが、取材をする上での葛藤や、取材をする中で自分の中で変化したことなどありましたか?

取材する者の心構え

楠本:伺う前は、私がお話を聞かせて頂くことについて葛藤がありました。経験が浅く未熟者であることを自覚していましたから。実際に現地に伺ってからは、貴重なお話を私に時間をかけて聞かせて頂けることにきちんと向き合うことを常に意識していました。取材を続けるにつれて、時に辛いお話を涙を交えて話してくださった方もおられました。自分は彼らに負担をかけているだけなのではないかとここでも悩みましたが、その多くの方が自発的に私に語りかけて下さるんですね。取材者としてあるべき完璧な姿というのは、私には正直分かりかねますが、彼らがお話をしたいタイミングで、しっかりと言葉を受け取るという姿勢は間違っていなかったんじゃないかと思います。そういう意味では、私の取材への姿勢や現地の方々とのお話の仕方などはどんどん変化していると思います。

矢萩:経験もそうですが、話したくない方に話を伺ってしまう可能性は大いにあるわけで、そういう意味での謙虚さとか、話して戴けていること自体の貴重さであることとかを、忘れないようにしないといけないですよね。どうしても「緊急」という事態に甘んじて、あるいは麻痺して、心ない質問や行動をとってしまっている取材や報道が目につきました。支援活動についても同じですね。僕らもそういうことを常に自問し、自戒しながら活動しなければいけませんね。

楠本:その通りですね。自戒の言葉を込めてお話しすると、「寄り添うこと」を言葉の盾にして現地に伺うこともあると思います。しかしながら、何ら必要とされていない活動であれば、逆にご迷惑をおかけすることになるんですよね。ボランティアしかり。今回の震災で、それをとても強く感じました。私は、彼らの生活のそばにただ居させて頂くだけでも感謝すべきことのように思います。

矢萩:本当にそう思いますね。イベントで被災地の状況と活動を説明させて頂いた際に、現地出身の方から「誰が頼んだ?よそ者に何が出来る!?」という意見を戴きました。もちろん、その方の個人的な意見なのですが、そういう意見の方がいることも間違いないわけで、それで活動のモチベーションが下がってしまう人達もいるんですね。そんな中で、いかに自分なりの信念を持って、覚悟を持って活動できるかが重要なんだと思います。僕自身は、現地にはほんの少ししかいることが出来ませんでしたが、現地に居続けてくれていたスタッフに対して、現地の方々はまるで家族のように接してくださったり、逆に生活のことを心配してくださったりして頂けるようになりました。

楠本:先程「被災地」としてひとくくりにする危険性についてお話がありましたが、つまるところ人対人なんだと思います。私自身も100%取材活動をご理解頂けていたのか、求められているのか常に自問自答しますが、何より目の前の人とどれだけお話して向き合えるかなんだと思います。継続して現地に伺い続けるにつれて、顔を覚えて下さり、気軽に挨拶を交わせるようになりました。本当にありがたいことです。そうした中で気が付ける変化であったりとか、取り上げられていなかった変化に気付いて行けたらと思います。

矢萩:なるほど、取材させて頂く方々への姿勢、大変共感いたします。楠本さんは、ご自身の記事によって、一番伝えたいことはなんですか?

すべての経験は今、最善の形でここにある

楠本:一つ一つの生活がそこにあるということです。少し曖昧な表現ですね。震災取材に限らず、実際に現地に親類/知人のいない方や訪ねたことのない方々にも、一つ一つの生活が何も終わらず、絶えずそこにあることを感じて頂き、思いを馳せるきっかけになればと思います。写真や言葉にはそうした可能性があるように強く思います。

矢萩:記事の中でも「撮影者の存在の有無に関わらず、そこで繰り広げられる生活一つ一つを丁寧に記録」したいと仰っていましたね。

楠本:そうですね。私が何かをつくり上げるようなことはおこがましい、と心のどこかで感じています。誤解を恐れずにお話しすると、私にとっては、私と接してくれるお一人お一人全てがとても魅力的なのです。

矢萩:これは取材に限らずですが、人生のテーマなど、楠本さんが最も大事にしていることはなんですか?

楠本:少しずれるかもしれませんが、一つ一つのご縁に感謝しながら生きることでしょうか。私、ギャンブル運はめっきりないのですが、ありがたいことに周りには非常に魅力的な方々に恵まれ、ご指導頂きながら生きて来れました。必要なタイミングで一期一会の出会いから糧となるお言葉を頂戴したり、前に進めたりと、そのどれもが今の私を形作っているとよく感じます。すべての経験は今、最善の形でここにあるといった感じです。だから少しくらい苦境でも歯を食いしばってでも頑張ろうといつも思えます。あ、ヤハギさんとの出会いもそうなんですよ(笑)ありがとうございます。

矢萩:ははは、こちらこそです。有り難うございます。一期一会のタイミングというのは、僕もますます感じるようになりました。自分が本当に欲しているときに、必要な人や、言葉と出逢います。準備が出来れば、出会うべくして出逢うものなのだ、と思います。

楠本:そうですね。できるだけアンテナを広げて、開いた心持ちでいるのは案外楽な姿勢だったりもします。いや、これは私の性分ですかね(笑)すみません。

矢萩:では、最後にこの対談や記事を読まれている方々にメッセージと、楠本さんの今後のご活動についてお聞かせ頂ければと思います。

楠本:何より、本対談や記事にアクセスして頂ける皆様にお礼申し上げます。すべてにおいて、私が「取材した」のではなく「お預かりした」大切なお話や写真ばかりです。是非ご覧頂いて、ふとした時でも結構ですので思いを巡らせて頂ければ幸いです。現在、震災関連の内容につきましては継続して現地に伺っておりますし、定期的に関西圏を中心に写真展や報告会を開催しております。直接お話することも可能かと思いますので、是非機会がありましたら足を運んで頂けたら幸いです。これからも精一杯取り組んで参りますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

矢萩:楠本さんのあくまで謙虚な姿勢、僕も勉強させて頂きました。是非、色々なシーンで活動をご一緒させて戴けたらと思います。一緒に頑張りましょう。今日はどうも有り難うございました。

楠本:はい、こちらこそ有り難うございました。是非これからも宜しくお願い致します。ありがとうございました。