[対談] 矢萩邦彦ダイアログス

苅部太郎×矢萩邦彦「働きながら、伝える」

LIVEonWIRE_JOURNAL編集長、矢萩邦彦による参加ジャーナリストとの対談第三弾は、先日「壁の向こう側 ―隔たれるイスラエルとパレスチナの今―」をご寄稿いただいた苅部太郎さん。苅部さんは今年社会人となり、今は会社で働きながら「週末ジャーナリスト」として活動しています。対談は2012年5月に行われました。

ネットが運んできたもの

矢萩:こんにちは、今日はよろしくお願いします。まだ初めてお目にかかってから間もないですが、最近お会いする機会が多いですね。

苅部:こんにちは、よろしくお願いします。そうですね。毎週のようにお会いしているような気がします。矢萩さんとお会いしていると学びが多いので、これからもこのペースでよろしくお願いします(笑)。

矢萩:そう言って戴けると有り難い限りですが、プレッシャーですね(笑)。苅部さんは普通に会社員をされながら、週末ジャーナリストとして活動されているわけですが、そのような活動形態をとられるようになった切っ掛けは何だったのですか?

苅部:紆余曲折してここまで来たもので…… ご理解いただくためには、私の高校3年生の時まで、話は遡ります。

苅部太郎

矢萩:高3ですか。普通は受験勉強であまり色々なことを考える余裕がない忙しい時期ですよね。

苅部:当時受験生だった私は、受験勉強の合間にネットサーフィンをしていました。その時、偶然押したリンクで、アフガニスタン戦争の動画を集めたサイトにとんでしまったんです。内容は確か、アフガン兵が米兵を処刑するというものだったんですが、修正も何もかけられていないもので、非常に衝撃を受けたのを覚えています。

矢萩:それはまた新世代型というか、サイバーな切っ掛けですね。偶然ということは全然そういう情報を集めていたわけではないということですよね。

苅部:そうですね。何の意識もしていないところにそんなものが飛びこんできたわけで。そこでもの凄く違和感を感じたんですね。自分は塾に通って受験勉強をして、平和な日常を送っているのに、何故地球の裏側では人と人が殺し合ってるんだろうって。その時から漠然と、戦争とか紛争とか飢餓とか、そういった社会問題に関心を抱くようになりました。

矢萩:なるほど、処刑シーンなどは、テレビでも学校でも知る機会がないですからね。藤原新也さんの作品で、ガンジス川に水葬されて打ち上げられた死体を犬が食べている写真がありましたが、とても衝撃を受けました。僕らの周りはどんどん「死」が現実味をなくしているような気がします。

苅部:この日本社会では「死」が隠されていますからね。バーチャルな世界に生きているといってもいいかもしれません。とりあえずそういう状況にいる人の役に立ちたいと思ったんです。そこでパッと思いついたのがカウンセラーだった。PTSDとか虐待とかで病んだ人の役に立てれば、と。そういう思いで、大学では心理学を専攻しました。

心理学とジャーナリズム

矢萩:死に鈍感な若者をテレビゲームで育った世代だからだ、という乱暴な括りがありましたが、バーチャルはバーチャルだって小学生でも分かってますよ。だいたいの子は。テレビゲームではなくて、もっと生活の中に、確かにある存在を消すというような、逆サブリミナル的なバーチャルが潜んでいるような気がしています。

苅部:プロセスが見えないことがそうさせるのかもしれませんね。スーパーに並ぶ牛肉や鶏肉の切り身がどうやってできるかってなかなか見えませんからね。逆サブリミナル…… 面白いですね。

矢萩:心理学がどのようにジャーナリズムに繋がっていくのかが気になりますね。

苅部:心理学を学びながら社会問題について本格的に学び始めたんですが、いくら講義を聞いても本を読んでも、現実味が湧かない。だったら直接現場に行って見てやろうと思って、1年間休学して現地に飛びました。大学3年の時のことです。

矢萩:心理学からジャーナリストというのはとても変わり種ですよね。でも、真剣に人の心を学ぼうとすると、目的は興味や分析というよりも、みんな幸せになって欲しいというか、不条理な哀しみを減らしたい、というヴィジョンになるような気がします。そうすると結局フィールドワークに行き着くのだと思います。

苅部:本当に人を幸せにしたいのならば、理論に固執するのではなくて、顔が見える現場に足を突っ込み続けるしかないと思います。僕の中では心理学とジャーナリズムってかなり似ているんですよ。なにかこう、バランスを整えているところが。カウンセリングって抑圧を浄化しますよね。それで心のバランスを整える。ジャーナリズムも、声をあげる力が弱い人の声を代弁して、対話のバランスを整えるというか……。

矢萩:まさに「知行合一」ですね。どちらが欠けてもバランスが取れません。実際に「フィールド」に行かれて、どうでしたか?

苅部:イギリスで地域開発について学んだ後、南アフリカに派遣されて、HIVエイズ撲滅プロジェクトに従事していました。実際に行って感じたのは、開発の理論と現地の実状の乖離というか……。

矢萩邦彦

矢萩:最初はだいたい現場を知っている人間が理論を作りますから良いのですが、だんだん分業が専業化してくるとズレてしまうのだと思います。僕の関わっている教育業界でも、現場で授業を担当している先生がシステムやテキストを作らないと、どうしてもズレを感じます。

苅部:先進国は、途上国がかわいそうだからといって、援助しますよね。途上国が発展できるように、と。でもその「発展」というのは西欧化であり、市場原理に組み込まれることであるということです。それを現地の人が本当に望んでいるのかは疑問に感じました。現地には現地の伝統があり暮らしがあるのに、外部から入った人間が「それは遅れている」といってつくりかえてしまうのは、傲慢だと思いました。「いいことだ」と思ってやっていても、現地の人にとってはありがた迷惑になっている場合もあると思います。

矢萩:そうですね。何が善で、良い環境なのかは文化やその土地で暮らす人々の価値観によりますからね。押しつけている方も善意なのがやっかいですよね。グローバリゼーションは本当に難しいと思います。

身近に感じた「死」

苅部:そんなことを感じているタイミングで、南アフリカで交通事故にあったんです。乗っていたバスごと崖から落ちて、人生観が変わりました。自分はいつ死ぬのかわからない。自分の信念に従って生きよう、と。

矢萩:自分の死の可能性を間近に見ると、覚悟が出来るというのはありますよね。その時は大事故になったのですか?

苅部:そうですね。高速道路で対向車線から来た大型コンテナ車と正面衝突して、崖から落ちてしまいました。そのバスは最前列にしかシートベルトがついていなかったんですが、最前列に座っていた自分が、幸運にもそれを締めていたと。もしひとつ後ろの席に座っていたらと思うと、今でも冷や汗が出ます。南アフリカって人口の25パーセントがHIV陽性なんです。自分もHIVにかかわっていたので、周りの出血している人に触れなかったんです。自分も怪我しているので、血液感染が怖くて…… 自分のことしか考えられませんでした。そこで無力感を感じたんです。周りの人を助けられなくて。それで帰国してから、自分の見聞きしたこと、体験したことを周囲に発信したんです。大学で講義の時間をもらってプレゼンなんかしたりして。

矢萩:なるほど、初めてお目にかかったときから、揺るぎない信念のようなものを感じていましたが、そういう経験があったのですね。そういうことがあると、生きることや運命について真剣に考えてしまいますよね。プレゼンなどの反応は如何でしたか?

苅部:反応はかなり良かったです。「自分の知らない世界を見て考えさせられた」とか「やりたいことをやろうと思った」とか。自分と同じように休学して、アフリカに行ってしまった後輩も何人かいます(笑)。

矢萩:そういう実感があると、伝えることの切実さや重要さが分かりますよね。少しずつでも変えていけるというか。さて、今回書いて戴いた記事はパレスチナについてですが、ここを取材しようと思った切っ掛けは何だったのですか?

そして、パレスチナへ

苅部:自分の原点は受験生の時に観たアフガンの動画なので、中東地域が良かった。パレスチナ問題を選んだのは、その時一番関心が強い対象だったからです。ある時、ケニアに行く機会があったんですね。JICAのODA調査団に選ばれて。現地で見聞きしたことを書いたレポートと、写真の反響がとても良かったんです。学生フォトジャーナリズム写真展も主催して、「伝える」ということに手応えを感じたんです。もともとジャーナリストに憧れがあったので、紛争地の取材を本格的にしてみようと思いました。

矢萩:なるほど、そうだったんですね。紛争地には色々な意味での「壁」がありますね。「壁」や「境界線」は僕の活動のテーマでもあります。安田菜津紀と初めてコラボした写真展のテーマはまさに「境界線」でした。この取材で、この記事で、一番伝えたいことは何ですか?

苅部:一つ目には、「そこ」に実際に暮らす一人ひとりの考えとか主張ですね。そういったものってニュース性に欠けるので、なかなかテレビとか新聞という大きなメディアでは取り上げられにくい。今回の記事で取り上げたパレスチナの人々のように、情報発信力が弱い人々ならなおさらです。日本のメディアで流される国際ニュースはほとんどアメリカを経由して入ってきます。アメリカはイスラエルを支援しているので、どうしてもイスラエル寄りの報道になってしまう。パレスチナは自爆テロと暴動ばかり起こす、「テロリスト」とひとくくりにされがちなんです。

矢萩:そうですね。立場が逆転したら、その呼び名も逆になるんですけどね。そういうことを無自覚に受け入れてしまうのは、問題ですね。やっと「メディアリテラシー」なんて言われ始めましたが、そんな言葉を使っていること自体がまずいんですよね。本来情報を批評的に見ていくのは当たり前のことで、自然に出来なければいけないのですが。

苅部:たとえばエルサレムで1000人規模の暴動が発生したと報じられたとしたら、その行動は見えても、一人ひとりが参加しようと思った考え、思想までは見えないですよね。参加した背景には個人的な実体験が伴い、個人的な信念があるはずなんです。そこを伝えれば、それを見た人の判断材料が増えて、この泥沼化した紛争の解決策が見つかるかもしれない。どちらが正義でどちらが悪かというシンプルな構図を当てはめることは簡単ですが、それが事を複雑にしているんです。二つ目に伝えたかったことは、そういうシンプルな構図を当てはめる行為は、別にこの紛争に限らず、私達の身近に溢れているということです。記事にも書かせていただいたのですが、自分の周囲に対する無関心さは、この日本社会に溢れています。そのことに気づいて、一人ひとりが少しでも相手のことを思いやる余裕が生まれれば、いじめ、差別、自殺などの社会問題は小さくなると考えています。

矢萩:百歩譲って分かりやすくするために極を二つに設定するにしても、当然グラデーションがありますからね。そういうことは伝えにくいから、伝えなくなってしまっています。大量の情報を扱い、またスポンサーなどのしがらみもある大手メディアでそれが出来ないのならば、僕らのような小さなメディアにこそ出来ることがありますからね。これもサイバーな時代の可能性だと思います。ネットメディアは悪い言われ方をすることもありますし、実際事件の引き金やプロセスに関わることもありますが、それは諸刃の剣で、未来に希望を繋ぐために使いたいですよね。

苅部太郎、パレスチナにて
Photo by Atsuyoshi Saisho

苅部:この記事を書いたのにはもう一つ個人的な理由もあって、就職も決まっていたので、ジャーナリストとしての才能があるかどうか、試してみたかったんです。一本記事を書いて、それが評価されなかったらまあダメかなと思っていました。で、とりあえず自分の友人や会社の同期に見せました。おそらく20人ほどかと。

矢萩:その結果、ジャーナリストを続けようと決意されたわけですよね。『LIVEonWIRE_JOURNAL』の編集部にこの記事が届いたとき、みんな感心していました。こんな良いジャーナリストが就職してしまうなんて! って(笑)。ちょっと前から、紹介したいジャーナリストがいる、と周りからお名前は伺っていましたので、僕も凄く興味深く読ませていただき、是非一緒にジャーナリズムをやりたいと感じました。

苅部:ありがとうございます! 『LIVEonWIRE_JOURNAL』に記事を掲載させていただくことが決まった時は心が躍りました。尊敬する佐藤慧さんが寄稿されているメディアですし。民間企業で働きながらジャーナリズム活動を続けるのはメリットがあると感じています。

矢萩:最初から両立を考えていたのですか?

苅部:はい。原発や自殺、差別、格差など、国内にも問題は山積みです。そういった問題を追うのは、休日を利用してでもできますから。それに、ジャーナリズム活動は記事を書いたり写真を撮ったりする以外にもできると思っています。僕にとってジャーナリズムは「対話の場をつくり出すこと」です。極端な話、職場でも飲み会でもそれは可能です。

矢萩:そうですね。身の回りにも沢山の問題があります。そして、それらは全部どこかで繋がっていますからね。僕も予備校や私塾での講義や家庭教師、ネットラジオなど全てメディアと捉えて、ジャーナリズムとして活動しています。これからも少しでも世界を変えられるよう、共闘していきましょう。今日は有り難うございました。

苅部:魅力的な方々と共闘することができて光栄です。有り難うございました。