[記事] マイノリティボイス

虹の彼方へ ―セクシュアリティの多様性と社会的シバリへの挑戦―

MCの松阪牛子さん(右)とマサ姉さん(左)。手話での同時通訳も行われていた。

 少し早い夏の訪れを感じながら、代々木公園の雑踏を行く。ステージには“華やか”な衣装をまとった“女性”が丁寧かつユーモラスな口調でイベントを進行している。

 彼女の名前は“松阪牛子”、ドラァグクィーン(女装パフォーマー)だ。上からでも下からでもない徹底してストレートな物言いに、流石だなと思いつつも、そういうスタイルになっていった背景に思いを馳せようとするが、その想像の及ばなさに少しだけ時間が止まった気がした。

 イベント『東京レインボープライド2012』はセクシュアルマイノリティ(以下セクマイ)の祝祭だ。「個性」と「多様性」をキーワードに「開かれたパレード」、「みんなで作り上げるパレード」を目指して設立された。目玉企画であるパレードは公式発表で参列2,500人、沿道も合わせると4,500人の動員があった。虹色の旗や衣装がゆらめき、“LGBT”の文字がそこかしこに散見出来る。

 アメリカで始まった『プライド・パレード』は「セクマイの存在アピールを目的としたパレード形式のイベント」で、セクシュアリティの多様性を象徴するものとして「虹」をモチーフに全世界で展開している。日本での動員はまだまだ少ないが、サンパウロでは250万人、ニューヨークでは190万人を動員する規模のイベントに成長している。東京レインボープライド運営委員会は、5年後に台湾と並びアジア最大級となる動員5万人を目指すという。

 セクマイを総称する略称として使われる“LGBT”は、「Lesbian(レズビアン)」「Gay(ゲイ)」「Bisexual(両性愛者)」「Transgender(トランスジェンダー)」[*1]の頭文字を組み合わせたものだ。最近では「Intersex(インターセックス)」や「Asexual(無性愛)」などの頭文字を加える場合も。日本では、セクマイと言われることが多いが、海外においては“LGBT”がマイノリティーと表現されることは少ない。マイノリティーと呼ぶこと自体が社会的な差別に繋がる可能性があるという理由からだ。

存在を認知して欲しい

カラフルな衣装で踊る参加者。写真を撮ったり、一緒に踊ったり、ただ眺めたり、会場は自由な雰囲気に包まれていた。

 会場で知り合ったゲイの“よしさん”は現在サラリーマン。セクマイの世界ではニックネームで呼び合うのが普通で、本名も年齢も知らない“親友”も多いという。小学生の時に自分がゲイであると気付いたというよしさんは、すぐに家族にカミングアウト、家族はずっと居場所になっていてくれたが、学生時代は辛かったという。

 「理解して欲しいんじゃないんです。ただ、認知して欲しかった」。

 自分の気持ちを、普通の人にそのまま理解してもらえるはずはない、自分だって他の人達のことを理解出来るわけじゃない。しかし、そういう理解出来ないような人が身近に存在していること認めて欲しい。

 「このあいだ同窓会に行ってね、そこでカミングアウトしたんですよ。そしたらみんな、知ってたよ、そうだと思ってた、って言うんですね。言ってくれれば良かったのにって。僕だって言いたかったんですけどね。でも嬉しかったですね」。

 自分からは言い出せないし、周囲も気を遣うので、切っ掛けがなくなってしまう。そんな時こそ先生に助けて欲しかったといいます。

 「でも、いきなり、男好きなの? なんて聞かれたらショックが大きいから…… 受け皿を用意してから声をかけて欲しかったですね」。

ステージ前で踊る親子。言葉はなくとも、他の参加者達と目と動きでコミュニケーションをとる。

 僕は長く教育業界に身を置いているのだが、セクマイに限らずマイノリティーな立場になりやすい性格や趣味の生徒はかなり多いので、まず紙などを使って悩みや相談したいことを匿名でやりとりしたりする。そこに何か書いてきたと言うことは、認知して欲しいというサインだと捉えている。その中で感じるのは、本人達よりも環境、周りの対応に改善すべき点が多いということだ。個人面談でこんな質問をされたことがある。

 「先生、うちの子多分男の子にとても好かれるタイプだと思うので、男子校に入れるのをためらっているんです。実際ゲイとかそういう方ってどのくらいいるんですか?」

 僕が男子校出身だと知っての質問だったと思う。お母さんは、自分の息子がゲイの可能性があることを認めたくなかったのだと思う。本人にもそうであると気付いて欲しくない。そんな風に感じた。そういう感覚が疎外感や孤独を生んでしまうのだろう。環境とのズレ。そこから不登校や、酒、薬などに走るケースは枚挙にいとまがない。

社会的なステップと法制度の壁

 今の会社は二社目だというよしさん。前の会社ではカミングアウト出来ずに辛かったこともあって続かなかった。今の会社では上司が協力してくれて会社中に認知して貰った。そのお陰で本当に働きやすいという。しかし、先に進もうとすると制度的な壁にぶつかる。

 「この国では人生のステージみたいなものがあって、結局結婚しなきゃ社会的に次のステップに進めないんです。だから仲の良いレズの子と友情結婚することは良くあります。子どもも欲しいですしね。でもそうやって作った家庭は、物質的には満たされるかも知れないけれど、精神的に満たされることはないんです。本当に好きな人と堂々と籍を入れて生活したいんです」。

 2010年の暮れ、アメリカで“Don’t Ask, Don’t Tell政策”の撤廃が決まった。「国の安全強化のために人格まで犠牲にする必要はない」というオバマ大統領は公約を守った形だ。

 この政策は1993年クリントン大統領のときに承認された、異性愛者ではない者が軍に所属するためには、そのことをお互いに「訊くな、言うな」という政策である。

 これは一見妥協案に見えるが、セクマイにとっては存在を社会的に否定されているに等しい。政策の施行以来、アイデンティティを求めてカミングアウトした13,000人以上の同性愛者が軍を解雇されていた。

世田谷区議会議員の上川あや氏。日本で初めて性同一性障害を公表の上、立候補し当選した。

 イベントも終盤に近づき、ステージには中野区議会議員の石坂わたる氏、豊島区議会議員の石川大我氏、世田谷区議会議員の上川あや氏が登壇した。三者とも、自らがセクマイであることをカミングアウトして議員活動をしている。

 行政や法制度を変えたいと望むとき、デモや署名など外側から働きかけるだけではどうしても難しい。本当に切実である当事者が、行政の内側に入って活動することはとても効果的だ。しかし、カミングアウトされると構えてしまったり、逆に気を遣いすぎる環境にもなりやすい。プラスにもマイナスにもせず、お互いを自然に受け入れられるような環境が理想的だ。それは、行政に限らず全ての人と人との関わりの場、すなわち「社会」に対していえることではないか。

 「でも今はとても幸せです。仲間もいますし、分かってくれる人が多くなりましたから」。

 よしさんは、切なそうに、でも穏やかな笑顔で、仲間が前に居るから、とステージ前方へ向かった。一見“奇抜”な格好の出演者と参加者、そして一見“普通”の格好の出演者と参加者。友人同士も、カップルも、親子連れもいる。笑顔と開放感にあふれた会場の中で、僕らがお互いを認め合うことは、実は難しくないのではないか、と感じた。[*2]

ステージだけでなく会場全体が個性と多様性にあふれ、それぞれが自然に受け入れる平和に満ちた空気が心地よかった。

タイトル『虹の彼方へ』について

映画『オズの魔法使い』(1939)の中で、主人公ドロシーが、虹の彼方を夢見て歌うシーンがある。ドロシー役だったジュディ・ガーランドはバイセクシャルで、父親と二度目の夫ヴィンセント・ミネリも両性愛者だった。娘ライザ・ミネリがゲイの作曲家ピーター・アレンと結婚したこともあり、ジュディは同性愛者たちのシンボルになった。同性愛者の隠語で「ドロシーのお友達」とは同性愛者を指し、同性愛解放運動の場ではテーマソングやBGMとして『オーヴァー・ザ・レインボー』が流されるようになった。史上初のゲイの暴動であるストーンウォールの反乱は、彼女の死によるショックが影響していたとも言われ、両性愛者の歌手エルトン・ジョンは、ジュディの死を悼んで『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』を作曲したが、これは映画の中でオズへ続く「黄色いレンガの道」を指している。

[*1] Transgender(トランスジェンダー)について (2012/05/30追記)

この記事に対して、トランスジェンダー当事者の方から、LやGのことばかりでトランスジェンダーについての記述が少ないというご指摘があった。今後、取材を継続する中で声を届けていきたいと思うが、少しトランスジェンダーについて附記させて頂く。国際人権法においては「性自認が身体的性別と対応しない状態を意味する言葉」と定義されている。身体的特徴ないし遺伝子上の性に基づく性別とは別の性自認状態に有り、必ずしも性別が逆なだけではなく、組み合わさったり、無志向であったり、流動的であったりする場合もあり「Xジェンダー」と呼ばれる。自らの性の不完全に悩むケースも多いという。

[*2] マイノリティの取材について (2012/05/30追記)

この記事を読んだジャーナリスト佐藤慧は次のように語った。「人は理解出来ないもの、自分の価値観の外にあるものの存在を認めることが難しく、時にはそこに敵意すら抱いてしまいます。全てを理解することはできなくとも、その存在を認め合うことは出来るはず。それはセクシャルマイノリティの問題だけではなく、他の差別にも言えることだと思います」。他者についてもその境界についても、まず知ることから、認識することから始まることがある。それを信じて取材を続けようと思う。