[記事] パラリンピック

どこまでも諦めない ―秋山里奈、8年越しの金メダル―

 先日パラリンピック日本代表団が無事成田空港に降り立った。里奈さんが出てくるのを待つご家族と応援団のみんなは、まるでこれから金メダルを賭けたレースが始まるかのように緊張した面持ちだ。みんなでお揃いの黄色いTシャツを着て、掲げられた手作りのメッセージボードには、「里奈と一緒に夢を追う」、「日本代表、みんなみーんな素敵でした」、「オリンピックとは違う深い感動でした」など、思い思いの言葉が綴られている。

いつ出てくるのか、と緊張した面持ちで待つ応援団。

 「来た!」という誰かの声に、みんなの視線が一気に集まる。白い、日本代表のユニフォームに身を包む里奈さんが姿を現した。首から下げられた紫色の紐の先には、堂々とした金メダルが輝いていた。8年間、夢にまで見た金メダルだった。自分の全てをぶつけて挑んだ目標だった。駆け寄った僕に、里奈さんは「これ、見てください」と金メダルを渡してくれた。里奈さんの手から受け取った金メダルはずしりと重く、その重さは、世界中のアスリートの不屈の想いが凝縮されたものなのだと感じた。

 「絶対に金を獲って帰ってきます」、そう言い切って日本を発った里奈さんだが、余裕綽々とその金メダルに手をかけたわけではない。8月30日に開催された大会での初戦、100m自由形予選をなんと「失格」。スタート前に僅かに動いたところフライングとなった。小さな記録会などでも、滅多なことではフライングをしない里奈さんに動揺が走る。やはり世界一の舞台に緊張しているのだろうか。里奈さんが言うには、日本のプールとは違うメーカーの作るタッチ板は微妙に素材や感触が違うらしく、今回練習で本番用のプールを泳いだ時「少し爪先の部分が滑りやすいな」と感じた。その時感じた苦手意識が、フライングへと繋がってしまったのではないかという。しかし、その失敗を引きずらないのが里奈さんの強み。「あー、まずいな、やっちゃったなあ」と思う反面、これが本番(100m背泳ぎ)でなくて本当に良かったと安堵したという。また、これを反省し、本番までにスタートの感触をきちんと確かめることが出来たと冷静に話す様子には、里奈さんの楽天的な性格と、勝負に賭ける強靭な意志を感じた。

 金メダルを賭けた100m背泳ぎの予選は、3位で通過(1:22.47)し決勝へと駒を進めたものの、とても満足の行くレースではなかった。自己ベスト(1:18.59)より4秒近く遅く、決勝に向けて不安を残すこととなった。「絶対に金を獲って帰ってきます」、自身のその言葉が、重く背中にのしかかる。決勝まで8時間ほどの空き時間があり、里奈さんは一度選手村に戻り、ゆっくりマッサージを受けるなど、リラックスするように努めた。しかし、「決勝ともなればライバルたちはもっと速いタイムを出してくるはず、もしかしたらメダルを獲るということすら難しいのでは」との思いが脳裏をかすめ、中々気持ちを立て直せなかった。そんな気持ちを決勝への決意と変えたのは、やはり金メダルへの想いだった。「くよくよ悩んでも、どうせ時間になったら決勝レースが始まるんだ」、「金メダルを獲るという夢を叶えられる場所はここしか、この瞬間しかないじゃないか」。完全に不安が消えたわけではないだろう。それでも里奈さんは、全力でレースに臨むことのみを考えた。

 スタートの瞬間、里奈さんの頭の中にあった言葉は、「自分を信じる」ということだった。8年間、この瞬間のために毎日練習に励んできた。始めから終わりまで全力で行ける、私の体は応えてくれる、そう強く言い聞かせたという。スタートの合図と共に、里奈さんの体が空にしなり、水しぶきを上げて戦いの舞台へと飛び込んで行った。世界の強豪の中でも抜群の加速力を持つ里奈さんは、先頭を切って金メダルへと向かっていった。「Rina Akiyama!! World record holder!!」という興奮したアナウンサーの声がその勢いを伝える。タッピングによってターンのタイミングを知らされ反転、勝負の折り返し地点を迎え、里奈さんは依然先頭を泳いでいた。「行ける!」、応援団の誰もがそう思った時、里奈さんの体が逸れた。レーンにぶつかり失速、即座に体勢を立て直したが、追ってくる二番手との差はほぼ無くなった。「あー!ぶつかった!やばい!」と思ったと、後日里奈さんから伺った。「いつもだったら、勝負中にレーンにぶつかったらヤル気がなくなってしまうんですよね。でも、この時は違いました。即座に、もうぶつからないようにしよう、最後の瞬間まで本気で泳ごう、そう思いました」。

水しぶきを上げ、全ての瞬間に全力で挑む里奈さん。 Photo by RyoICHIKAWA

 最後まで泳ぎ切った里奈さんに「一番だよ」とコーチが伝えた。それを聞いた瞬間、8年分の想いが爆発したかのように、里奈さんは体ごとその右腕を天に突き立てた。何度も、何度も、水しぶきと共にガッツポーズをする里奈さんに、会場中から溢れんばかりの拍手が注がれた。

 「世界新記録を更新して金メダルを獲るというのが夢でしたから、世界新が出ずに金メダルを獲ってもあまり嬉しくないかな、と思っていたんですね。悔しさ半分、嬉しさ半分みたいな。でも、全然そんなことなかったです。凄い嬉しいです!世界新とか、まあいいや、って。金メダルだからいいやって、凄い、嬉しかったです!」。

 見事積年の夢を果たした里奈さんだったが、その夜は緊張して寝られなかったという。「本番まで、色々な結果を予想してたんですよね。世界新で金メダル、世界新は出せないけど金メダル、銀メダルや銅メダル、でもまさか、2位との差が0.12秒しかない僅差で金メダルを獲ることになるとは思いませんでした。その0.12秒のことを考えると怖くて寝れなかったです」。

 そんな里奈さんを応援し続けてきた応援団が、成田空港に降り立った里奈さんを囲むように集まり、交互にその肩を抱き、「おめでとう!」と声をかけている。まるで大きな家族のような応援団は、里奈さんにとってどんな存在なのだろう。「ずっとずっと応援してくれて、いい時期だけじゃなかったと思うんです。結果を出せずにもがいていた時も、ずっと見守っていてくれて、本当に感謝しています」。

Go!Go!里奈応援団のみんな。まるで大きな家族のよう。

 里奈さんの帰りを待ちわびていたのは応援団だけではない。幼い頃からずっと通っているプールで、一緒に泳ぐ子どもたちもまた、里奈さんの帰りを待っていた。「金メダルを見せるともちろん喜んでくれるんですが、それよりも、「いなかった間さみしかったんだから」と言って、帰ってきたことを喜んでくれることが本当に嬉しいです」。その日、里奈さんは練習の時間を割いて、子どもたちにパラリンピックでの経験を話したという。「諦めないということ、諦めずに夢に向かっていけば、必ず叶うんだということが、子どもたちにとても良く伝わったと思います」。

 2週間ほど体を休め、次は11月の大会に向けて徐々に練習を開始するという。翌年春には大学院を卒業する里奈さんは、今後どんな道を歩んでいくのだろうか。どんな道を歩むことになっても、「諦めない」強い想いを持った里奈さんは、これからも周りの人々に勇気を与えながら歩んでゆくことだろう。

次の夢に向けてのスタートを切った里奈さんは、これからも沢山の希望を生み出し続けていくのだろう。